変な質問でごめんなさい。2年前に結婚した夫婦です。それまで旦那は「専門学校卒だよー」って言ってました。 牛田智大さんが、8月2日(日)、初めて 2度目のNHKホールのコンサートに立たれる、そして本格的にNHK交響楽団との共演ともなる、, 本来、このコンサートはN響、NHKホールで、牛田さん、指揮者沖澤のどかさん、司会:石丸幹二さんで同じ日に夏だ!祭りだ!N響ほっとコンサート として予定されていたのですが、新型コロナの影響でやむなく中止・・・, 同じ日に、3人に更に、ピアニスト中野翔太さんを加え、演奏上の「蜜」等を避けた演目内容で、仕切り直し実現されたものです。, サン=サーンス 動物の謝肉祭  中止になった時は フルオーケストラヴァージョンとなってましたが、 仕切り直しで実現したこのコンサートでは ★オリジナル版で演奏されます。, その人となりを様々書きましたが、とにかく音楽史上稀有な神童で、やがてフランス音楽界に君臨します。, そんなサン=サーンスの全作品中でも、こんにち最も一般的に、ファミリー向け、子供向けコンサート曲として、広く人気なのがこの動物の謝肉祭 です。 (1886年ごろ作曲), しかし、この曲には動物たちのユーモラスな動きや生態の描写に隠れたところで、強烈な皮肉や毒もあちこちに隠されているのです!!, 実際、サン・サーンスはこの作品中に、他の作曲家の作品断片のパロディをアイロニカルに多く使っていることなどを理由に、生前の楽譜出版、演奏を禁止していました。, 子どもたちが純粋に聴くには、サン・サーンスのユーモアを飛び越した、皮肉や批判精神を理解するのはとても無理だと思います(笑)。   特に「ピアニスト」とか・・, それでも、大半の曲はその愛らしくユーモラスな、それぞれの動物の特徴をきっちり捉えた曲で構成されていて、クラシック入門編の作品としては、こんにちトップクラスの人気を得ています。, 今回のNHKホールでの演奏、きっと石丸幹二さんの魅力的なナレーションに、牛田さんらのピアノパートで解りやすく親しめる名演となるでしょう。, ★オリジナル版の楽器編成はとても小さく、ヴァイオリン2、ビオラ、チェロ、コントラバス、フルート、クラリネット、シロフォン、グロッケンシュピールに、全体を支える2台のピアノが特徴的です。, 演奏  Komorni Ansambl Muzičke Akademije U Zagrebu, ライオンの行進らしい堂々とした感じですが、ピアノのあちこちに有る空虚5度という技法が、傲慢な割に薄っぺらな印象を与え、当時のフランス音楽界の権威主義的で、中身がないかのように・・・そんな皮肉の曲でもあります。, ピアノの音階フレーズのめまぐるしく急速な上昇下降が、暴れまわるろばを現してるようです。, オッフェンバックの「天国と地獄」のテーマを、弦楽器が「亀」の歩みのように超スローテンポで奏でます。サン・サーンスは、当時流行っていたこうしたオペレッタに対して大変批判的だったようです。, コントラバス独奏とピアノ伴奏による秀逸な曲。いかにも「象」らしい曲ですが、ベルリオーズの「ファウストのごう罰」からのメロディーの引用があり、ここにも皮肉とユーモアが・・・。, ピアノのみの描写的な短い曲。装飾音符が次第に早くなる繰り返しと和音が、カンガルー独特の動きを表しています。, 有名な曲の一つ。格調高い曲ですがどこか不安な気分も。当時まだ珍しかったであろう水族館の美しい魚たちを、斬新で幻想的なハーモニーを交え、グロッケンやピアノ、弱音した弦楽器が効果をあげています。, ソロヴァイオリンによる、何度も同じ奇怪な音形をヒステリックに発せさせている極めて単純なもの。, ピアノの弱音の和音連打の間を クラリネットがカッコウの鳴き声を模し続けますが、どこか寂し気な雰囲気をもっています。, 弦楽器のトレモロの上を、フルートが晴れやかな明るい気分で早いバッセージで飛び回ります。あたかも鳥かごを飛びだす勢いを思わせる印象的な一曲。, この曲の皮肉は強烈です。 楽譜には”初心者のように不器用に"との指示がありますが、さじ加減は奏者に任されてます。指の練習曲だけをひたすら延々と弾いてる者は人にあらず・・・とでも言いたいかのように。 この曲にはまだまだ憶測がありそう。, 自作の交響詩「死の舞踏」を変形させたテーマ、 キラキラ星、ロッシーニ「セビリアの理髪師」から、フランス民謡「月の光に」、などなどのメロディが巧妙に登場。これらはみな 「化石」だ!と、言ってるような、強烈な皮肉が込められています。, 美しく高貴な白鳥の姿を、この上もなくロマンティックなチェロが奏で、ピアノが繊細に伴奏する、この曲集中髄一の名曲。 サン=サーンスはこの曲のみ、演奏禁止をしてなかったという。, 第1曲の序奏に続き、元気で明るい主題が奏でられ、その間にこれまでの曲が数曲、断片的に登   場します。 動物たちの賑やかなパレードといった趣きでしょう。, おとぎ話風だけではないアイロニーな要素が沢山詰まってるから、興味深く研究して演奏されるでしょう♪, さて、下の、懐かしい~♪♪ NHK BS 名曲探偵アマデウス 「サン=サーンス 動物の謝肉祭」の動画を見つけました。, なお、この8月2日のコンサートの模様は、8月23日(日) NHK Eテレ放送「クラシック音楽館」で放送されるそうです!   楽しみですね♪, この8月2日のコンサートの模様は、8月23日(日) NHK Eテレ放送「クラシック音楽館」で放送されるそうです!   楽しみですね♪. ピアノ協奏曲第1番ニ長調 作品17(1858年) ピアノ協奏曲第2番ト短調 作品22(1868年) ピアノ協奏曲第3番変ホ長調 作品29(1869年) ピアノ協奏曲第4番ハ短調 作品44(1875年) ピアノ協奏曲第5番ヘ長調 作品103「エジプト風」(1896年) VII, 23 mai 1846, p. 181. BONNEROT, Jean, Camille Saint-Saëns, Sa vie et son œuvre, Paris, Durand, 1922, 241 p. CHANTAVOINE, Jean, Camille Saint-Saëns, Paris, Richard-Masse, 1947, 117 p. DANDELOT, Arthur, La vie et l’œuvre de Saint-Saëns, Paris, Dandelot, 1930, 297 p. GALLOIS, Jean, Camille Saint-Saëns, Sprimont, Pierre Mardaga, 2004, 382 p. PHILIPP, Isidore, « Saint-Saëns pianiste et compositeur pour le piano », Guide de Concert, numéro hors-série consacré à Saint-Saëns, 1922, p. 40-41. ストラディバリウスってそんな名器なんですか?. 作曲年:1896 クラシックのピアノ曲を演奏難易度順にランキング形式で紹介します。ランク分けの基準は、ドイツの楽譜出版社ヘンレの難易度付けが元になっています。 エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調 作品85 . Isidore PHILIPP, « Saint-Saëns pianiste et compositeur pour le piano », このピアノは現在フランス北部の街ディエップの市立博物館に保存されていますが、その経緯はサン=サーンスの人生をご紹介する中で後ほどご説明いたします。. Camille SAINT-SAËNS, Marie-Gabrielle SORET (éd. 詐欺メールが届きました。SMSで楽天市場から『購入ありがとうございます。発送状況はこちらにてご確認下さい』 と届きその後にURLが貼られていました。 聴く耳の無い大半の日本人に向けて放送しても無意味なんじゃない?クラシック音楽は高貴な我々が聴くもので さっきまで放送してた林先生の番組、 5 "L'Egyptien" F-Dur Op.103 - サン=サーンス - サン=サーンスは当時61歳であったが、多くの演奏旅行をしており、名ピアニストとしての地位も保ち続けていた。ピアニストデビューから50年目にあたる1896年、それを祝う … 先日ピアノ協奏曲を完成させましたが、ふと思いついたのが「有名なピアノ協奏曲の難易度って、どうなっているんだろう」ということ。ピアノ独奏曲については偏差値をつけるなど色々話題にされているところですが、一流プレイヤーでないと協奏曲の演奏機会なんかは滅多にないだろうし、あまりランキング表のようなものは見たことありませんよね。, でも、コンチェルトというのは名人芸(ゔぃるとぅおーじてぃ?)を発揮する格好の場なわけだから、聴く側としてもある程度難易度がわかれば面白いのではないかと。そこで、ここはランキングを自分で作ってみようと思いたち、代表的なコンチェルトの楽譜を譜読みしつつ偏差値のような形でまとめてみました。, もちろん、ピアノ技巧の「難しさ」にも色々ベクトルがありますし(跳躍、指回り、ポリフォニックな処理……)、芸術的表現などは評価不可能なためものすごく乱暴なまとめ方ですが、一つのお遊びとして気楽に捉えていただければと思います。, 対象は古典~近代で、演奏機会の比較的高い作品をピックアップ。ただ、メンデルスゾーンやサン=サーンスを1曲も入れなかったのに、ラフマニノフはあまり演奏されない4番まで取り上げましたので、選曲がちょっと偏っているかもしれません。, なおこの記事は画像がほとんどないため、ところどころCDジャケット(Amazonアソシエイトのリンクあり)を挿絵的に載せました。私は録音の聞き比べをほとんど行わない人間ですので、「私のイチオシ!」という意味ではありませんし、演奏に対するコメントも控えさせていただきます。, せっかくですから、私のピアノ協奏曲もちょっとだけお聴きください。今回のランク表だと58~60あたりかな……と思っていたのですが、出来上がったものを引いたら結構難しかったです。こうやって難曲が生まれるんですね。, ランキングのトップにこの曲を持ってくるのはわざとらしいと思ったのですが、色々譜読みしてみてやっぱりこれしかないと再確認した次第です。技巧を見せつけるためではなく、音楽的欲求から生まれた綿密なピアノ書法。音の洪水に埋もれずにメロディーを浮かび上がらせ、ピアノという音の減衰する楽器でいかに息の長いフレーズを歌わせられるかが勝負です。曲全体が難所のカタマリですが、その中でも1番大変なところはどこだろう?少なくとも1楽章カデンツァ(Ossia)ではないと思うのです。3楽章冒頭は手を広げる・丸める動作の機敏な切り替えが大変そう。3楽章再現部前の素早い重音パッセージは譜面上とても難しく見えますが、リストの「鬼火」のような理不尽さはなく、手に馴染ませればしっかり鳴るよう合理的に書かれていると思います。ラフマニノフの難所は和音連打やオクターブよりも、細かいパッセージに集中している傾向です。, 旋法的で親しみやすいメロディー、野生的なリズム感、いかにもバルトークです。手が小さければ難易度はプラス3、というか門前払い状態。, フレッシュで時代を先取りする作風。この人やバルトークはピアノの取り扱いが打楽器的・サーカス技的で、ラフマニノフの難しさと方向性が正反対。学生時代の作品ということで、技巧へのこだわりを強く感じますが、これがどれほど演奏的効果につながっているかは少し疑問です。, プロコ2番は1楽章カデンツァがカタストロフィックでとても格好よく、初めて聞いた時は衝撃を受けました。凍りつくロシアの大地の情緒をラフマニノフ以上に感じます。ただし全体的に音のテクスチャーが薄く、ピアノ書法としてはあまり洗練されたものとは言えない気も。, ラフマニノフ4番は渡米後の作品。1楽章は勇ましく始まった主題がいまいち発展せず、作曲に相当苦心していた様子が伺えます。技巧的な難易度もやや下がります。一方3楽章はどこか吹っ切れた様子があり、すっかりアメリカ色に染まったユーモラスで華々しいサウンドに。「トムとジェリー」みたいなカートゥーンのBGMにそのまま使えそうですね。, スクリャービンの初期はとてもロマンチックでショパン的ですが、オクターブ連打など「左手のコサック」らしい動きも随所に見られます。, ブラームスについては「超難曲」などとされがちなものの、このあたりが妥当なラインだと思います。3度の重音でさらっと音階を弾かせるなど、さりげなく意地悪なのがブラームス。オクターブ移動の激しさなど、リスト以上にマッチョなピアノ書法の印象があります。, プロコ3番は「越後獅子」のエピソードを取り上げるまでもなく、日本人好みの快活さ・キレの良さがあります。前2作に比べると技巧面はやや抑えられているものの、ピアノはよく響き演奏効果は抜群で、よりスマートにシェイプアップされた印象。ラストのグリッサンドのように聞こえるフレーズは、映像やスコアを見ればすぐ分かりますが実はグリッサンドではありません。指1本につき2音ずつ白鍵を押さえて、アルペジオのように手首を回転させて弾くのですが、他の曲ではほとんど見かけないテクニックのためきれいに響かせるのはかなり大変です。, ショパンのコンチェルトはピアノのワンマンショー的楽曲で好みは分かれるかも(私は大好きです)。比較的初期の作品ですが、1楽章左手の柔軟性がバラード4番やソナタ3番など後期を思わせる円熟味を持っています。, ラフマニノフ2番は、この曲でラフマニノフを知ったという方も多いのではないでしょうか。チャイコフスキーの面影を残す1番(ただし、改訂でかなりテコ入れされています)と比較すると、難易度は少しだけ易しくなりましたが、作曲の独創性の点ではレベルが格段にアップしています。テクニック的に大変な部分はごく一部に集中しており(反対に3番は簡単なところがほぼ見当たらない )、単音の旋律などあっさりしている部分も多めな印象。, ラヴェルの左手は、手が小さければ+2ほどアップ。手の届きにくい和音のバラし方は、フランソワがなかなか粋に処理しています。, ピアノの出だしが白鍵の五音音階なのでミスタッチしやすく、間違えると雰囲気台無し。再現部手前の高速ラグタイムのような跳躍も大変です。また、メロディーを歌わせる箇所では、広い音域を忙しく移動する中しっかりと左手親指で旋律を拾っていかなければいけません。しかし、片手なので「スカルボ」のように手の交差・ぶつかりの問題は生じませんし、難所でテンポルバートをきかせやすい曲調なので難易度は少し低めの評価に。カデンツァは他のラヴェルの曲と異なり、たっぷりと自分の感情をこめて、感動的に歌わせても許されると思います。, 超絶技巧といえばリストというイメージですが、冒頭の跳躍オクターブ以外は良識的な書き方をしています。ハンスリックが「トライアングル協奏曲」などと悪口を言った話は有名ですが、その理屈ならベートーヴェンのVn協奏曲はティンパニ協奏曲になってしまうと思うのです。, チャイコフスキーは超人気曲。冒頭の壮大なメロディが、その後もう2度と出てこないということで変に有名だったりします。チャイコフスキーのピアノ書法はリストと似ており、オクターブや和音の扱いが直線的なイメージ。1楽章展開部や3楽章コーダ前の激しいオクターブはちょっと力任せで強引な感じがあります。ラフマニノフやブゾーニだったらもっと上手く脱力できるように書いたのではないかと。, ショパンの奏法カタログ。アルペジオ・重音の高度な技巧が凝縮されています。第1楽章は、オケの提示部とソリストの提示部の両方が出てくる古典的スタイルですが、「弦楽器ではイマイチだった主題が、ピアノで歌われ変奏されたとたんに息を吹き返す」といった評価をされることが多いです。確かにショパンのメロディは減衰楽器向きなんでしょうね。, 1楽章の展開部で4度の半音階が出てきますが、英雄ポロネーズの出だしとよく似ています。ポロネーズの方は第1小節目でいきなり演奏者の技巧レベルがわかってしまうという恐ろしいフレーズ。バタバタさせずに涼しげな顔で、綺麗なレガートで弾きたいところです。, 個人的にはプロコ3番程度の人気があってもよい作品だと思います。バルトークとしては珍しくホ長調のはっきりとした調性を持ち、どこまでも澄み切った印象を受ける作品です。難易度では2番とだいぶ開きがあり、1楽章に音域の広いアルペジオがある以外の難所はほぼなし。3楽章でフーガ的に音が重なっていく場面はワクワクします。, 手が小さければ+3。ブラームス特有の手を大きく広げるトリルがきつい。例えば1と4の指でオクターブをつかみ、小指で2度上の音を弾くのですが、これを曲調に合うよう力強く響かせるのはなかなか大変です。, 似た音型が多いので(この辺りはショパン1番と対極です)、聞いた感じの華やかさより難易度は低め。シューマンは独奏曲の方にもっと難しい曲がたくさんあるような気がします。, 冒頭があまりにも有名(アニメやドラマなんかのショッキングなシーンで流れるアレ)です。3楽章コーダだけ+2上乗せしたいところ。, ブルーノートスケールやスペイン的なフリギア旋法など、斬新な響きが随所に。ロマン派以降のピアノ協奏曲は、何かとソリストが偉そうな顔でステージ真ん中に鎮座するイメージですが、こちらは茶目っ気たっぷりのお祭りのような楽しい作品です。「ゴジラ」の旋律のインスピレーションはここから?難易度はピアノよりオケ、特に木管楽器が難しそう。1楽章カデンツァ手前のオーボエのオクターブとか、3楽章のまるでピアノのアルペジオのようなファゴットの音型など、相当苦労すると思うのですがどうでしょうか。, ベートーヴェンのコンチェルトは、オーケストラを上手く活かすようソロパートは極めて簡潔に書かれることが多いです。そのため、重厚なポリフォニーで書かれた後期ピアノソナタの方が難易度は格段に上。, ベートーヴェン4番は、古典派の協奏曲の中ではイレギュラーでピアノ独奏から始まります。個人的な注目ポイントは、3楽章がいきなり主調ではなくハ長調(下属調)で始まるというフェイントをかけているところ。, モーツァルトとしては珍しく激しいオクターブ奏法が多いため、作曲年代を考えるとかなりパッションを感じる作品。モーツァルトの人気曲は短調に集中する傾向がありますが(長調の作品が圧倒的に多いのに)、この曲がその最たる例と言ってよいかもしれませんね。個人的には、ブラームス1番、ラフマニノフ3番と合わせて「ニ短調ピアノ協奏曲の3台巨頭」と勝手に呼んでいます。, モーツァルトは、特に演奏機会の多い3曲を選びました。この曲が一番難易度としては平易ですが、技巧的にひねくれたところがない優良作でもあるということです。最後のまとめとしてはアレですが、2楽章アダージョの美しい旋律を聴いていると、難易度ランキングなど俗っぽいことを考えることがちょっと恥ずかしくなりますが、まあいいか。, -クラシック 全音楽譜出版社の公式オンラインショップにて、ポケットスコアの商品を紹介しています。5%ポイント還元中。ハーモニカ、ピアノピース等、4,000点以上の楽譜を取扱っています。商品検索、楽曲検索が可能。ミュージックベル等、楽器の販売もはじめました。 ベートーヴェンの特集でしたが、 RATNER, Sabina Teller, Camille Saint-Saëns (1835-1921) / a thematic catalogue of his complete works, vol. :ピアノ協奏曲 第5番 「エジプト風」 Op.103 ヘ長調, Saint-Saëns, Camille:Concerto pour piano et orchestre No. 私はそれを聞いて最初は嬉しかったけど、だんだん不安になってきました。 -ショパン, バルトーク, ピアノ, ブラームス, プロコフィエフ, ベートーヴェン, モーツァルト, ラヴェル, ラフマニノフ, 難易度, Apple Musicの他、Amazon Music、Spotify等でオケ・室内楽作品を配信中!詳しくは「自作曲のご紹介」ページをご覧下さい。楽譜はnote.comで提供中です。. モーツアルトの協奏曲は当時の文献では「第4番」と記されているのですが、現在とは数え方が違うようで、どの変ロ長調の曲か意見が分かれるところですが、初演の新聞評で「大編成のオーケストラ」と書かれているため、ここでは通説のkv 450(現在の第15番)に従うことにします※15。 BLANCHARD, Henri, « Matinées musicales », Revue et gazette musicale, 11e année, n° 27, 7 juillet 1844, p. 229-230. Spitfire Chamber Stringsの試聴サンプル(レガート)を作りました, 【音源あり】 Spitfire Symphonic Stringsのレガートサンプル. さて、サン=サーンスについては 「ピアノ協奏曲第5番 エジプト風」 の記事で、 その人となりを様々書きましたが、とにかく音楽史上稀有な神童で、やがてフランス音楽界に君臨します。 旦那が東大卒なのを隠してました。 30~35年前に買ったCDとか再生出来てますか? そんなに早く終了すると悲しいです( ; ; ). くだらない大衆音楽とは違います。 クラシックだけは途中から未来永劫聴く人はいないと思っています。 世間のイメージとはそういうものなのでしょうか?, https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12232500192. カミーユ・サン=サーンス(1835-1921)は現在ではフランスを代表する作曲家の一人として知られています。《動物の謝肉祭》に《交響曲 第3番(オルガン付)》、ピアニストにとっては5曲の《ピアノ協奏曲》や《練習曲集》などで馴染みがあるかと思います。学校の音楽室の壁の肖像画や、音楽の教科書に載せられて記憶のある、ひげを蓄えた姿には貫禄があるため、少し気難しそうで近づきがたいイメージがあったかもしれません。2021年はサン=サーンスが亡くなって100周年に当たり、より身近に彼のことを感じて頂けるよう、ご紹介させて頂きたいと思います。, まず、この連載のタイトルが「旅するピアニスト」とあります。そうです、現在は作曲家としての面ばかりに目を向けられるのですが、彼の存命中、19世紀半ばから20世紀初頭にかけては当時を代表するピアニスト、オルガニストの一人として数えられていました。さらに、彼は飛行機もない時代に世界各地を演奏旅行や私的な旅行で巡る、当時としては珍しい大旅行家で、滞在先や客船の中でピアノを演奏し、ピアニストとしての評価は世界的に広まっていたのです。そこで、このシリーズではピアニストとしての面に光を当て、ピアノを演奏、学習される皆様のお役に立つことができれば幸いです。, サン=サーンスは1835年10月9日にパリで生まれましたが、そのわずか3か月弱後の12月30日に父親ヴィクトル・サン=サーンスが病死してしまいます。そこで母親クレマンス・コランとその養母(大叔母)シャルロット・マソンに育てられることとなりましたが、当然経済的にも恵まれず、また病弱であったこともあり、非常に心配な人生の幕開けでした。母親、大叔母共に寡婦でしたから、サン=サーンス家の唯一の希望はまさにカミーユであり、二人の愛情を惜しみなく受けて育ちましたが、それは逆に、後年カミーユにとってはコンプレックスともなるのです。サン=サーンスの両親は音楽とは無縁でしたが、父親は文学、母親は絵画をたしなみ、どちらもアマチュアの域を出るものではありませんでしたが、芸術に理解のある環境ではあったようで、母親のクレマンスはもともと家庭を持って長男が生まれたら音楽家にすることを決めていました※1。そして、最初にピアノやソルフェージュの手ほどきをしたのは大叔母のシャルロットでした。2歳半でヅィメルマン社製の鍵盤の幅が狭いピアノを与えられたカミーユは、普通の幼児がするようにでたらめに鍵盤を叩くことなく、鳴らした音が減衰するのを聴いてから、次の音を順に弾いていたのです※2。そして、まだ3歳になるかどうかの子ども、というより幼児カミーユはアドルフ=クレール・ル・カルパンティエ(1809-1869)のピアノ教則本をわずか一か月で仕上げてしまいました。もちろん幼児には筋力が備わっていませんので、あまり練習し過ぎてはいけないからとピアノの蓋に鍵をかけてしまうと、泣き喚いてしまい、仕方なく鍵を開けたほど音楽に夢中な子どもでした。サン=サーンスは、ピアノに向かっては頭に浮かんだ音楽を鍵盤で叩いていた※3と回想していますから、すでにこの頃から作曲家の素質が現れていた、まさに「恐るべき子ども」です。そして、ここからモーツァルトにも比される神童の伝説が始まります。, 子ども向けの教則本を難なくクリアしたサン=サーンスですので、当然初学者向けの曲には飽き足らなくなってきます。少年カミーユ曰く、「低音部が歌っていないよ」とのことで、単調なバスがつまらなかったのでした。というわけで、早速ハイドンやモーツァルトなどの古典的な作品に挑戦し始めます。5歳になると小規模なソナタなら正確に弾けるようになり、音楽に理解のある聴衆の前で演奏するようになりました。ここまで来れば、当時カミーユ少年が既に作曲を始めていたと聞いても、驚かれる方はいないでしょう。当時流行していたワルツやギャロップを作曲したと本人が回想していますが、ある曲はピアノを弾きながらではなく、頭に浮かんだ音楽を直接五線紙に書いて作曲したので、自分の小さな手では弾くことができず、知り合いに頼んで演奏してもらったほどです※4。そして、まめな性格であったサン=サーンスはきちんと原稿や書簡などの資料を保存していたのですが、現存する最も古い作品の原稿には、大叔母の字で1839年3月22日の日付が記されていました※5。まだ3歳と5か月なのです。1840年には4歳7か月にしてヴィオレ夫人のサロンでピアノ独奏と若手ヴァイオリン奏者の伴奏(ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ)を務めました。この演奏に関しては、モーツァルトの子ども時代を引き合いに出され、「将来、偉大なマエストロにふさわしいライヴァルとなるであろう」と称賛される記事が『モニター・ユニヴェルセル』紙の同年8月1日号に掲載される※6など、天才児カミーユの評判は広まっていきました。この上達の秘訣はやはり、「好きこそ物の上手なれ」ということで、自発的にピアノに向かい、自らの好奇心でレパートリーを拡げていったことに尽きると考えられます※7。, このように早くから音楽の天分を示したサン=サーンスは、当然ながら専門家のレッスンを受けることとなります。それが当時のパリにおける名ピアノ教師の一人であったカミーユ・スタマティ(1811-1870)でした。スタマティはフリードリヒ・カルクブレンナー(1785-1849)の高弟で※8、ギド・マン(手導器)※9を使ったピアノ練習法を師から受け継ぎ、サン=サーンスに伝えました。脚注でご紹介した上田泰史氏の記事にあるように、晩年に撮影されたサン=サーンス自身の演奏シーンを見ると、彼の子ども時代に受けた教育が晩年まで身についていたことが良く分かります。サン=サーンスの演奏スタイルに関しては、成人してからの演奏活動も俯瞰したうえで分析することにしましょう。さて、サン=サーンスはまめな性格だと先程ご紹介いたしましたが、初めてのスタマティのレッスンの日付まで今日に伝えられており、1843年3月13日だったとのことです。7歳と5か月、日本ならばまだ小学校低学年の年齢ですが、なんと、ピアノのレッスンにとどまらず、同年10月18日にはスタマティの紹介でピエール・マルダン(1800-1871)という教師について和声と作曲を学ぶことになりました※10。マルダンは作曲家というより教育家として成功を収めたため、現在ではあまり知られていませんが、ドイツでゴットフリート・ウェーバー(1779-1839)に師事し、生地リモージュに帰って学校を開き成功した後、パリに活動の場を移して多くの生徒を育てました。彼はパリ音楽院(コンセルヴァトワール)式の数字付き和声、すなわち和音を単体で見る方法ではなく、音階中の音度の関連で見る方法(以前、東京藝大で採用されていた方法)で和声を教えましたが、奇しくも、この方法は後にサン=サーンスが奉職することになるニデルメイエール学校でも採用されました※11。, さて、先述の通りサン=サーンスは早熟の神童でしたから、公的なデビューも早いものでした。デビューに向けて経験を積むため、演奏活動が活発に行われます。『ルヴュ・エ・ガゼット・ミュジカル』紙の1844年7月7日号では「歴史的」と大文字で強調され、「ピアノを弾くために生まれてきた」などと称賛された記事が掲載されました※12。この記事で紹介されたマチネでは、すでにオーケストラを従えてモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏したとありますから、次に挙げる公的デビューに向け、着々と準備が進んでいたことが分かります。1846年1月にはプレイエル社のグランド・ピアノを購入して練習し※13、同年5月6日、サル・プレイエル(プレイエル社のホール)で行われたコンサートでは、モーツァルトの《ピアノ協奏曲 変ロ長調》、ヘンデルの《変奏曲》と《フーガ》、カルクブレンナーの《トッカータ》、フンメルの《ピアノ・ソナタ》、バッハの《前奏曲とフーガ》、そしてベートーヴェンの《ピアノ協奏曲 第3番》が演奏されました※14。モーツアルトの協奏曲は当時の文献では「第4番」と記されているのですが、現在とは数え方が違うようで、どの変ロ長調の曲か意見が分かれるところですが、初演の新聞評で「大編成のオーケストラ」と書かれているため、ここでは通説のKV 450(現在の第15番)に従うことにします※15。まだ小さな子どもが当時のパリの歌劇場の一つ、イタリア劇場の管弦楽団(指揮、テオフィル・ティルマン:1799-1878)を従えて協奏曲を2曲も立派に弾きこなしたわけですから、大変大きな成功を収めました。『イリュストラシオン』紙の5月23日号ではピアノに向かう可愛らしい姿のサン=サーンスの挿絵入りの記事が掲載される※16など、当時の主要メディアであった新聞、音楽雑誌でも大々的に紹介されました。, しかし、一見すると順風満帆の子ども時代のように見えますが、例えば先程の公式デビュ