かつて、ロッテファンから“リーダー”と呼ばれた男がいた。インターネット掲示板「2ちゃんねる」のプロ野球ファンがインターネット上で作った「2ちゃんねるプロ野球板用語集」には、以下のような記載が … 所謂、mvp以前からロッテの応援団として活動。 ロッテ西岡応援ボイコッツ主犯mvpと幹部seiko石田専用スレ 1 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/28(月) 13:11:53.39 ID:lqeN0r4N0 ここ最近の千葉ロッテ応援ボイコット騒動の主役であるMVPについてみんなで語ろうぜw , http://ja.wikipedia.org/wiki/Marines_Victory_Productions, http://image.blog.livedoor.jp/buschiba/imgs/4/d/4d239933.jpg, http://image.blog.livedoor.jp/buschiba/imgs/a/1/a1351fd2.jpg, http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/44/0000236644/78/img29824c11zik2zj.jpeg, http://www.youtube.com/watch?v=nnBVri_sp3U, http://up3.viploader.net/baseball/src/vlbaseball000641.jpg, http://pics.livedoor.com/imsize/data3/007/a/a/aa55bf8815dcfbb6eb64-1024.jpg, http://web.archive.org/web/20000531040948/emily.swan.me.ynu.ac.jp/ishida/mbe/WELCOME.html, http://web.archive.org/web/20020110123910/http://www.seiko-p.co.jp/recruit/voice06.html, http://74.125.153.132/search?q=cache:NIqNHFW6wUgJ:www.seiko-p.co.jp/recruit/voice06.html+http://www.seiko-p.co.jp/recruit/voice06.html&cd=1&hl=en&ct=clnk&client=opera, http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20090317-472089.html, http://upload.fam.cx/cgi-bin/img-box/txe90928175412.jpg, http://upload.fam.cx/cgi-bin/img-box/uu790928175403.jpg, http://ameblo.jp/yoshi-da65/entry-10352465792.html, http://www.youtube.com/watch?v=U5xHyJ7UOJ0. マリーンズファンとは、日本のプロ野球球団千葉ロッテマリーンズのファンのことである。「ロッテファン」、「マリーンズサポーター」、「ロッテサポーター」(サポーター呼称については後述)とも言われる。, 本項では前身のロッテオリオンズ時代のファンである「オリオンズファン」についても記述する。, 一般的にマリーンズファンはプロ野球ファンの間でもとりわけ熱い応援であると言われている。千葉マリンスタジアム(現、ZOZOマリンスタジアム)のライト側外野席でのサッカーサポーターを参考にした応援パフォーマンスはマリーンズファンの最も大きな特徴の一つであり、しばしばマスコミでも取り上げられる。中でもライトスタンドのほぼ全てを覆い隠せるほどに大きな「#26 MARINES IS MY LIFE」の横断幕(ビッグフラッグ)は千葉マリンスタジアムの名物となっていた。, プロ野球応援の中でも一早くから、ユニフォーム着用での応援、メガホンを使わず手拍子、大きな声で選手を後押しする、といった取り組みを行っていた。また、ジャンプ、タオル回し(現在は頻度は少ない)、フラッグなどの応援が特徴的である。外野応援席は、本拠地球場では白、ビジター球場では黒と言った選手と同じユニフォームカラーで染まる。, ライトスタンドに座るためには早めに並ばなくてはならず、週末の試合ではレフトスタンドのセンター寄りもマリーンズファンの白で一杯になる。その際には試合開始前に、警備員がビジターのファンにレフトスタンドのセンター寄りに座ることを控えさせていた。2007年からは、レフトスタンドのセンター寄りもあらかじめホーム応援席として定義されるようになった(阪神戦を除く)。この他にも一塁側の内野指定席では平日でもほぼ満員、さらに三塁側でも阪神戦などを除き、ほぼ大半がマリーンズファンで占められるなど(三塁側のマリーンズファンは一塁側のチケットが取れなかった人がほとんどであり、一塁側のチケットは前売りでないと購入が難しかった)、かつての低迷期かつファンが少なかったオリオンズ時代には想定すらされていなかったことが起きた。2008年には球団記録となる160万人以上の観客動員を記録している。ただし2012年以降は観客動員が130万人を切っている。, ビジターにおいては、2005年に阪神甲子園球場の阪神戦(交流戦)において、レフトスタンド上段をマリーンズファンによって埋め尽くされたことで、マスコミのみならず、熱狂的な応援で日本中に知られているライトスタンド側のタイガースファンからもマリーンズファンの件が話題になった。翌2006年から甲子園ではビジター応援席が設定されたが、即座に完売したため、2007年からマリーンズファンのためにビジター応援席が増席されている。甲子園では2010年を除いて2007年以降、マリーンズのビジター応援席の範囲を最も広い読売ジャイアンツと同じものに設定している。, 1991年オフ、ロッテ・オリオンズは本拠地を川崎球場から千葉マリンスタジアムに移転した。当時の千葉県民にとってプロ野球といえば長嶋茂雄(佐倉市出身)であり、地元のスターがいまだに根強い人気を誇っていた。また、川崎時代から継続してチームは低迷を続けていたこともあり、客足は途絶えがちであった。, 1993年、サッカーJリーグが開幕し、マリーンズ外野応援団が実際にJリーグ会場に足を運んだことで、応援での交流が始まった。, 1995年、ボビー・バレンタイン監督が就任した頃、チームとスタンドの一体感をつくるため、応援団が法被とメガホンの使用を廃止し、ユニフォームの着用と手拍子応援を開始した。当時では異例だったが、これが現在までに続く応援の礎となっていく。, 1998年6月12日から7月9日にかけて、球団は日本記録となる18連敗を記録した(詳細)。7月5日の福岡ダイエーホークス戦(千葉マリンスタジアム)で敗れ、当時の日本記録16連敗に並んだが、試合後約200人のマリーンズファンは選手に向けて応援歌を歌い続けた。近藤昭仁監督はこれを聞いて涙を流したという。球団関係者は、当時暴動を予測していたという。7月7日のオリックス・ブルーウェーブ戦(グリーンスタジアム神戸)で当時のエース黒木知宏が9回2アウトから同点ホームランを打たれ、延長戦で敗北し、日本新記録の17連敗となった。その試合後、球場に残ったマリーンズファンは「マリーンズ俺たちがついてるぜ! posted 2020/10/29 11:00 上記の通りジントシオ氏は、ロッテ 応援団(演壇)関係者として知られている。 もともとは日ハムの応援団関係者で、小笠原道大の応援歌は彼が手がけたものとも言われている. ロッテ・美馬学の挫折だらけの野球人生 いつもチームの勝利が最優先! 至高の“3番手”の野球観. mvpという集団の歴史について私はさほど詳しくありません。 2005年ごろまでは彼らは確かにロッテファンの拡大に寄与していたという話も聞きます。 ただ、今の彼らはただの迷惑集団にしかすぎません。 これに反発したM.V.Pは、翌日の試合で西岡の打席中に 「祝 110本安打達成(笑)」 「二日酔いで試合サボり」 「夢を語るスピードスター」など[9]と西岡を誹謗中傷する横断幕を掲げ、応援をボイコットした[10]。, ボイコットされた応援の代わりに、多くのファンから自発的に「剛コール」が湧き上がり、監督のボビー・バレンタインも剛コールに合わせて手を振る姿がテレビ中継で映し出された。試合終盤にさしかかるとこれらのコールもM.V.Pに妨害されるようになったが、対戦相手のオリックス・バファローズの応援団までもが剛コールをし始め、完全にM.V.Pを無視しての応援が行われる事態にまで発展した。さらに、一連の妨害行為を繰り返したM.V.Pへ「帰れ」コールが出るなど、終始異様なムードが漂う試合となっていった[11]。, 9月29日の西武戦(西武ドーム)では、西岡に対して通常の応援が行われ、ホームでの最終戦となる10月6日は不測の事態に備えて警備員が増員された[12]ものの心配された騒動は起こらず、球場に詰めかけた29,000人の声援の中、退団する監督のボビー・バレンタインのセレモニーが執り行われた[13]。この日の試合前にM.V.Pは謝罪を行い、10月7日のシーズン最終戦クリネックススタジアム宮城にて行われる対楽天戦での応援活動を持って解散することを表明した。, ファンと袂を分かつことになった旧M.V.Pは社会人野球チームTOKYO METS(漫画「野球狂の詩」に出てくる東京メッツとは無関係)の応援団として再出発した[14][15]。, 2003年3月31日の本拠地開幕戦(日本ハムファイターズ戦)で、前年オフに毎日スポーツ人賞文化賞を受賞した賞金で作成した「#26 Marines is My Life」横断幕(ビッグフラッグ)が初めてライト外野席に掲出される。それ以降、ファンの間で背番号26をファンのものとする動きが起きた。そして、千葉ロッテマリーンズ球団も2005年以降、背番号26をファンのための背番号とし、準永久欠番としている。実際に、2004年に酒井泰志が退団して以降、誰も着用していない。背番号26の由来は、日本プロ野球において、出場選手登録(ベンチ入り)メンバーのうち、実際に試合に出場できる試合前に指名された人数が25人であることによる、25に次ぐ「26番目の戦士」の意から。ロサンゼルス・エンゼルスの永久欠番になっているチーム創設者ジーン・オートリーの背番号26も、同様の理由から制定された。試合中はダグアウトの壁に、背ネームがなく背番号26だけが付いたユニフォームをハンガーで掛けている。試合後のヒーローインタビューでは、選手やマーくん(マスコットキャラクター)がそのユニフォームを掲げるなど、選手は常にファンと共に戦い、ファンへの感謝を表している。2006年以降チームのファンクラブ名としている「TEAM26(チームにじゅうろく)」もこれに由来する。, 2005年3月27日の千葉ロッテマリーンズ対東北楽天ゴールデンイーグルスの開幕第2戦に於いて、ロッテが楽天相手に26-0で勝利するという偶然があった。, 2006年に千葉マリンスタジアムの命名権をロッテが買い取る構想があった際、スタジアム名を「ロッテ26スタジアム(仮称、26は「トゥエンティシックス」と読む)」としていたものの、命名権購入計画が頓挫したため実現しなかった。, 他にプロ野球チームでファンの番号を制定しているチームとして、楽天の背番号10、クリーブランド・インディアンス(MLB)の背番号455などがある。, 2000年代の初期には試合後のスタンドで身の回りの清掃を自発的に率先して行うなどし、地元からの表彰歴もあった。こうした動きは、ごみの分別収集処理をスタジアム運営側が主導するようになるまで継続されていた。, 2000年代初頭を前後して、サッカーの影響を受けていることだけではなく、野球や選手に対する真剣な態度やマナーのよさから「応援するだけではなく、チームを支えている存在である(サポーター)」であるとされ、マスコミなどでは「マリーンズサポーター」と呼称したことがあった(現在でもこの呼称は一般的になっている)。日テレの対巨人戦で実況がレフトスタンド応援席のロッテファンのことを「ロッテサポーター」と呼んでいたこともある。, かつては敵味方を問わず、好プレーには賛辞の拍手を送っていたが、応援団を主導する『Marines Victory Productions』(以下M.V.P.と略)の「敵のプレーに拍手をする暇があるなら、味方の選手のプレーに拍手を送ろう」という方針から2009年までは自粛傾向にあった。, 相手ピッチャーが牽制球をした場合にはかまわずブーイングをすることが、2005年の優勝時前後を皮切りに徐々に問題になっていた。かつては敵味方を問わず問題のあるプレーに対して行われた行為だったが、「ロッテファンは敵の牽制にブーイングするのが流儀」という誤解が広まり、緊迫した場面でのたった1球の牽制球であっても内野席のファンまでもが反応するような事態になっているという状況が起きた。こうした動きを受けて、2007年の「MARINES MATCH CARD PROGRAM」(=マッチデープログラム)には応援団からのお願いとして「牽制時のブーイングをやめよう」との呼びかけが掲載されるようになった。, この他、完全優勝記念碑でも「日本シリーズにおける34人目のプレイヤー」として扱われ、レリーフがはめ込まれている。, 瀬戸山隆三著、現場を生かす裏方力: プロ野球フロント日記、72-74頁、2018年、, "2005年 レフトスタンドのロッテファンの皆さんに救われました! だからこその日本一だと確信しています! 9回マウンドから見上げたレフトスタンドの景色一生忘れない。", ロッテ観客増の裏に“伝説の応援歌”の復活あり。なぜ封印されていたのか? その応援事情に迫る, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=マリーンズファン&oldid=80353168, 松本の内野応援団は、外野応援団の巨大化と一般ファンの支持、そして松本自身の体調悪化(のち逝去)もあり消滅。しかしその残党は今でも内野席1階のシーズン席を購入して試合観戦している。, 従来応援に使われてきたメガホンを用いず、手拍子と指笛を主体とした声による後押しを行った。, 試合開始の際にフェイスタオルや、マフラータオル、メッセージボード等を両手に広げ『オズの魔法使い』の『Over The Rainbow (, メッセージ性の強い両手持ちの旗「ゲートフラッグ(ゲーフラ)」を掲揚する。ただし、現在ではゲートフラッグの使用を許可する球場が少なくなってきて、現在で使用許可されている球場は、, 「マーチ旗」「ミニフラッグ」と呼ばれる小旗を使用する。以前から自作で使われていたが、2007年に球団が売り出したことによって急速に普及した。基本的には試合開始前や相手投手交代時にテーマにあわせて球場全体で振っている。一部では、アルゼンチンサッカーのサポーター(インチャ)が使うような大きいパラソルを使用した。, 「ゲート横」「危険地帯」と呼ばれる一部ではジャンプをする際にはタスキ状の長い布「バンデーラ」を使用した。, 代名詞ともなっているタオル回しは「白いタオルとボールが重なってロッテ選手の打撃の妨害になる」「巨人応援団も流用している」などの理由からインプレー中は行われていないが(大量に点差がついて勝っている場合のみ例外)、未だにチャンステーマ時に回すものと誤解している人が多いため、以降チャンステーマの代わりにジャンプをするようになった。, レプリカユニフォーム・またはそれを模したウェア等を着用する。マリーンズファンの多くはホーム用及びビジター用のレプリカを所持していて、千葉マリンなどのホームではホーム用を、ビジターではビジター用を着用する。外野席は常にホームなら白、ビジターは黒一色となっている。レプリカユニフォームはファンクラブ有料会員の入会特典でもあり、種類は選択可能である。ただ、前述の縁起の良さからホームユニフォームでは「誠」を選ぶ人が2006年には急増した。2009年には、旧ロッテオリオンズ時代のレプリカユニフォームが製作されたこともあり、多くのファンが着用している。, MVP(Marines Victory Productions)ツアーというツアーが年に数回行われ、その観戦料の安さや特典等に惹かれ多くのマリーンズファンが参加した。, 新体制となり、決起集会で旧応援歌の復活が発表される。しかし、シーズン途中に使用を中止。団長は「試合よりも応援に集中が行く」旨をTwitterで発言した。, この中でも選手応援歌は使われなかった。ただ、旧サブローはサブローの引退試合で流れている。, 2005年のプレーオフ、日本シリーズは全てビジターでの優勝だったのでマスコミは彼らを「黒の軍団」と評した。.