テンプレート:建築物 テンプレート:Ambox-mini 日本テレビ放送網麹町分室(にっぽんテレビほうそうもう こうじまちぶんしつ)は、日本テレビ放送網(日本テレビ、日テレ、NTV)の旧本社・演奏所で分室にあたるビルディング。所在地は、東京都千代田区二番町14番地。「日本テレビ麹町ビル」[1][2]「日テレ麹町ビル」[3]のほか、「旧本社ビル」、「麹町ビル」、「麹町スタジオ」と呼ばれる。放送では「日本テレビGスタジオ」と紹介することが多い。, 2003年8月に本社機能が、2004年2月29日に演奏所機能が、港区東新橋(汐留)に建設された「日本テレビタワー」へ移されたが、面積は狭く、多くのスタジオを設置できないことから、中・大型スタジオの運用を継続して行い、主に収録番組を中心に使用している(生放送でも使用可能なため、本社の汐留移転後も、生番組の制作が同所で幾度となく行われているが、年月を経て同所での生放送番組収録は少なくなっており、スタジオ運用を調整しつつ汐留本社のスタジオになるべく生番組を集約させる方向に進んでいる)。, 施設周辺には、バップなど日本テレビホールディングス[4]の子会社・関連会社が入居する別館群がある。, 1953年8月28日、当地において日本で最初の民間放送によるテレビジョン放送を開始した。正面には、開局当初から1978年まで当地に建っていた電波塔(1970年の東京タワーへの移設後も予備送信所として運用していた)のスーパーターンスタイルアンテナがモニュメントとして飾られている。, 日本テレビの本社移転後もこのビルには日テレグループ企画など日本テレビグループ企業の本社が入居する他、2004年秋から旧西本館が一般テナントビル(日テレ麹町ビル西館)として使用されている。また、CS日本の本社と送出マスターもここにある。一方でRFラジオ日本も東京支社を麻布台から移転するとの報道もあったが[5]、これは実現しなかった。2014年3月まではBS日テレの本社と送出マスターも麹町分室に置かれていた。, 北本館屋上鉄塔に設置されているお天気カメラは、汐留移転後の現在でも引き続き設置され(汐留移転と同時に、ハイビジョンカメラに改修)、都庁を始めとする新宿高層ビル群の眺望が特徴である。かつて当カメラの映像は、スカイパーフェクTV!で放送を行っていた「CS★日テレ」で、CM時の差し替えとして使用されていたが、地上波での生放送ではそれ以来、あまり使われる事はなくなった(都心の映像は、汐留や渋谷からのものが頻繁に使用されている)。, 南本館地下には「再生真水プラント」が設けられ、南本館建設時に館内の飲料用排水(飲料用の水道水として使用され、排出された水)を集め、殺菌・消毒の処理を行った上で真水化し、再び飲料水として使用するものである。これによって、館内での飲料水は飲みやすく美味しいと言われており、社員・関係者・タレントからも大変好評である。またこれに伴い館内での排水処理は厳しく制限されており、一般水道用の流し台や排水路へは「薬品・洗剤類など」の排水が禁止されているほか、トイレ用の水や美術用の水(非飲料水)とは配管(給排水経路)が厳密に分けられている。, 先に触れた「麹町分室周辺の別館群」のうち、四番町別館は麹町分室が本社であった時代は1階に中継車車庫が置かれ、中継機材基地としても使われていた他、建物内には喫茶室「トレビの泉」や小規模番組収録用スタジオであった「Lスタジオ[6]」などが併設されていた。, 基本的に、スタジオ業務棟として設計・建設された北本館(1982年竣工)が現在も番組収録の拠点となっている。現在の北本館が建設される以前にもこの地にはGスタジオが存在しており、『24時間テレビ』の第1回放送(1978年)では、旧Gスタジオも番組のメーンスタジオとして使用されていた[7]。, 1階がHスタジオ、3階がJスタジオと縦に並んでいた。日本テレビがカラー放送を開始する際に新たに設置されたスタジオ棟で、カラーバーの色彩を模した外観が特徴的であった。完成当時としては最新鋭のカラー放送収録に対応した機材群が揃えられており、同所の名前の由来でもある。同社において現存する一番古いスタジオであったが、老朽化が激しく、新本社の移転・稼動をもって閉鎖され、現在は日テレアーカイブスのビデオテープなどが保存されているアーカイブス館として利用されている。, 1999年、夕方に金属バットを持った27歳の男が侵入し、スタジオセットや副調整室の機器を金属バットで破壊した。警備員が駆けつけ説得したが、男は「誰でもいいからお笑いタレントに会わせろ」と叫んだため説得に応じなかった。警備員は男を別の場所に誘導し、エレベーターに乗ったが降りた際に男が逃げようとしたため、警備員が取り押さえ確保し警察に通報。ケガ人はいなかった。男は「家を覗かれている」「日本のテレビだから日本テレビに来た」などと意味不明な言動をしていたために病院に運ばれ、精神鑑定を行った。その後男は逮捕された[10]。, 2010年3月31日、日本テレビは麹町分室・別館群と地続きの土地(約2600㎡)を取得した。麹町街区における大再開発事業が検討されている[11][12]。2013年8月28日には、二番町地区について再開発を進め、スタジオと商業ビルを建設することを決定したことが発表された[13]。2017年末にスタジオ棟が完成予定。, 日本テレビグループを統括する持株会社。2012年10月、従来の日本テレビ放送網(1952年10月28日設立)が新旧分割に伴い、社名・業態変更を行ったもの。, 当初は別の用途であった場所を改装して、ミニスタジオと副調整室が置かれた。当初はミニ番組や外部向け番組(日本テレビエンタープライズなどが関わった主にVPや外注番組など)の収録用として使用されていたが、日本テレビの平日編成が生番組主体へと変化するに伴い、スタジオ数が逼迫してきたことから「峰竜太のホンの昼メシ前」など午前10時台の生番組用スタジオとなった他、「進め!電波少年」「クチュリエで道楽」など日本テレビの番組収録主体へと運用形態が変化していった。, なお、この旧Gスタジオでの番組(24時間テレビ・第1回)の様子は、横浜市中区にある, 日本テレビとしては、創業の地であるこの場所(千代田区二番町)への思い入れは強いと言われており、汐留への本社移転が決定するまではこの場所での本社建て替えも念頭に置いていたと言われていることから、日本テレビの本社機能を改めてこの地に戻すのではないかという推測・観測もある。, 四谷放送センターはその後CS制作会社へ売却、東陽町放送センターはもともと期間限定で土地を借りて建設されたものなので、新本社稼働後直ちに解体され、元の土地所有者へ返還された。, 余談であるが、六本木ヒルズ森タワーの辺りが旧六本木センターの正面玄関である。また毛利庭園も残されているが、その南側に位置する現本社の敷地は六本木センター時代、機材庫やリハーサル室などがあった場所である。, ファイル:Nippon Television headquarters 1961.jpg, http://www.youtube.com/watch?v=fMVOZi6HkoI, http://wikippe.e-do-match.com/index.php?title=日本テレビ放送網麹町分室&oldid=74207, デジタルエイトビル - 日本テレビ同様に、本社建て替え・移転に伴い、旧本社の建物を収録用スタジオに転用した例として。. テンプレート:複数の問題 日本テレビ「バゲット」公式サイト。焼きたての美味しいバゲット(=パン)があると、なんともいえない楽しい気分になりませんか? そう、気分がアガりますよね!新番組「バゲット」は、そんな「気分がアガる♪」を目指してスタートする新しい情報番組です。 先に触れた「麹町分室周辺の別館群」のうち、四番町別館は麹町分室が本社であった時代は1階に中継車車庫が置かれ、中継機材基地としても使われていた他、建物内には喫茶室「トレビの泉」や小規模番組収録用スタジオであった「lスタジオ 」などが併設されていた。 テンプレート:JIS2004