(最近になって、『レット・バトラー』という第二の続編も登場しましたが・・) (原作では、第1部のエンディングの前、戦争で何もかも失って、力無くベッドに横たわるスカーレットの耳に、彼女の誇り高きアイルランドの祖先が幻の声となって彼女を励ます場面があります。映画には出てきませんが、原作を読めば、この二つの場面が密接に繋がっていることが分かります), すると、ここでも生来の強さが頭をもたげて、「そうよ、タラに帰りましょう。帰ってから、レットを取り戻す方法を考えましょう」と希望に瞳を輝かせるスカーレット。, 近年、アメリカの作家によって、続編『スカーレット』が公開されましたが、私は読んでないです。 JAPANのサービスであり、ヤフー株式会社が株式会社GYAOと協力して運営しています。. 映画「風と共に去りぬ」の掲示板「「Tommorow is another day」をどう訳しますか?」です。具体的な内容に踏み込んだ質問や議論などはこちらで。 Robert heeft een gedetailleerde analyse gemaakt, waardoor wij een veel beter inzicht hebben in ons verbruik. 「タラこそ、君の命だ」 Hierdoor kunnen wij gericht besparen op diesel, en CO2-uitstoot verminderen...", Opleiding Milieucoördinator en de CO2-Prestatieladder. さて、私が、受験の定番を捨ててうまく訳せればいいのだが、ない知恵を絞ってみてもうまくいかない・・・。, 「スカーレット・オハラは美人ではなかったのだが、男たちはたいていそう思わない。というのは、その魅力の虜になってしまうからだ。タールトン家の双子もそうだった。」, あれ?、when が、「というのは(for)」、となっている。Seldomも「たいてい・・ない」と訳しているし、私はゲームで遊んでいる(遊ばれている?)ようだ。すると・・・, 「次の段落が、「タールトン家の双子」の話題でしょう。文脈から見れば、双子のことが日本語訳でも最後に来なければ、読む人の思考の流れを壊す」, 恩師様もそうなのですね。私も「そうだったように」と挿入句のように前に入れるのには、多少なりとも抵抗感があったのです。, なぜなら、私も多くの「男たち」がスカーレットの「とりこになった状態」を表すのに、その前に「タールトン家の双子の兄弟がそうだったように」など、たった二人の感覚をたとえとして挿入して訳すのは、いくら英文には添っていても、日本語の描写の論理としてはいささか奇妙ではないか。つまり、スカーレットをとりまく状況としては正しくないかもしれないと思い至る。, だって、スカーレットにダンスを申し込みたい輩は何人もいたのだから。みんなが魅力の虜になっていた。双子もやはりそうだった。うん、この論理がしっくり来る。, しかし冒頭部分を読み比べていた私は、つい学生時代の夢想にもふけってしまった。「グランドツアー」という言葉も懐かしかったが、「大学を放校という話」も『ライ麦畑でつかまえて』をなんとなく彷彿とさせるものがあったりしたから。, 2015年5月 6日 (水) 書籍・雑誌 | 固定リンク 『風と共に去りぬ』のその後、夫であるレット・バトラーと疎遠になったスカーレットが、義妹でありアシュレ・ウィルクスに恋していた頃のライバルであるメラニー・ウィルクスの葬式に出席したところから始まる。スカーレットはレットがいなくなり、傷心でタラへ向かうとスカーレットが

Scarlett 「明日には明日の風が吹く」 この言葉は映画『風と共に去りぬ』の主人公スカーレットのラストシーンでのセリフであり、有名になりました。 英語では“Tomorrow is another day”といい、日本語訳の際には洒落た表現になっていて、「明日には、なんとかなるでしょう! 現代新訳もリリースされているが、私はクラシックな大久保 康雄 訳をおすすめします。, より作品への理解を深めたいなら、オリジナルの英文を紹介しているこちらがおすすめ。 つまらんプライドなんか捨てて、裸の自分に絶対的な自信をもてば、何をやっても生きていけるような気がするのだけど……, 日本語翻訳では『明日はまた明日の陽が照るのだから』、映画の字幕では、『明日に望みを託して』なんですよね。, 私は従姉から、『明日は明日の風が吹く』だよ、と教えられていたので、原文を知った時には、"全然ちがうがな~"と、ちょっとムカついた。, 翻訳も、言葉一つで全然印象が違ってくるから責任重大ですけど、とてもやり甲斐のある仕事ですよね。, 映画なんか観てても、英語のセリフと、戸田奈津子ちゃんの字幕が微妙に違ってて、≪そうか、なっちゃんはそう解釈するか≫って感じで、けっこう面白いです。, 私は中学生の頃、子供向けの英訳絵本【幸福な王子(作・オスカー・ワイルド)】に挑戦したことがあるけど、英語には英語の味があって、簡単に日本語に置き換えられるものではないなあと実感しました。, 一番、印象的だったのは、宝石も金箔も、何もかも貧しい人に分け与え、みずぼらしい銅像になってしまったにもかかわらず、王子の心が『bright』になったという箇所でした。, 直訳すれば、「明るい」「輝く」「晴れやかな」という意味ですが、その『bright』という言葉に触れた時、胸の中が鮮やかに照らされるような感動を受けたのです。, 語り合うのも『夜』、貧しい人々に財宝を届けるのも『夜』――『夜』の意味する所は、「王子の悲しみと償い」、「南国に焦がれるツバメの淋しい希望と密かな友情」、そして、「下町に暮らす人々の悲しみと苦しみ」ではないかと思います。, 自分のすべてを貧しい人々に分け与えた王子の心と、自分の希望を先延ばししても王子に仕えたツバメの心、そして恵みを受けた人々の心が、『夜』の暗闇から解き放たれ、光の中へ導かれていったような印象を受けたのです。, オスカー・ワイルドが書きたかった「この一言」は、もっと別の言葉だったかもしれないけれど、私には『bright』が物語の花のように感じられました。, 良い訳もたくさんあるけれど、やっぱり作品の本質に近づこうと思ったら、原語で言葉の響きとニュアンスを味あわないと……。, そう思って、フランス語の習得に挑戦したことがあったけど、あまりの難しさに途中で投げました。, マスターしたら、ランボーやプレヴェールの詩をかっこよく朗読したかったのだけど……。, メラニーが息を引き取り、アシュレイの腕の中で泣き崩れるスカーレットを見て、レット・バトラーの愛はついに醒めてしまいます。, スカーレットは、その時に、「アシュレイが本当に愛しているのはメラニーであって、私じゃなかったんだ、私はずっと幻を追ってきたんだわ」とようやく目を覚まし、自分にとって本当に大切なのはレットだということに気が付きますが、彼の姿を追って家に帰った時には既に遅し。, 彼を何とか引き留めようと、スカーレットは、「今、やっと分かったの、あなたを愛しているわ」と告げますが、レットの気持ちは変わりません。, 最後、玄関口で、「あなたが居なくなったら、私はどうすればいいの」と泣きすがるスカーレットに対し、「Frankly,my dear,I don't give a damn(オレの知ったことか)」と言い捨てて、出て行くレット。 映画だけでも十分楽しいが、原作を読めば、さらに踏み込んだ登場人物の心理や人間関係、歴史的背景や当時の価値観が理解できる。 ファンでなくても一度は読むべき名作。 制作中だが、富野総監督は次回作を考えているという。「現実問題として制作できるのか? という問題がある。制作の了解がとれなければ、希望 O’Hara was not beautiful, but men seldom realized it when caught by her charm レットとの愛も終わったんじゃないかな……というのが、淋しいけれど、私の結論です。, いまだ色褪せない不朽の名作。 超字幕/風と共に去りぬ (キャンペーン版dvd) 【メーカー名】 ソースネクスト 【メーカー型番】 【ブランド名】 ソースネクスト 【商品説明】 超字幕/風と共に去りぬ (キャンペーン版dvd) こちらの商品は中古品となっております。 CO2-prestatieladder.info is een initiatief van, CO2 Prestatieladder Informatie is powered by Kader, bureau voor kwaliteitszorg and Wordpress. 映画のシナリオからは味わえない、マーガレット・ミッチェルの本物の魅力に触れてみて。, これはTVドキュメンタリーで知ったエピソードだが、第二次大戦中、墜落した米軍の飛行機からこの映画のフィルムを回収した日本軍は、上層部だけで極秘に上映した時、日本が物資も尽きて、生きるか死ぬかで戦っている時に、海の向こうのアメリカでは、こんな豪華な映画を制作し(実際、第二次大戦中に制作されている)、アトランタ炎上のシーンでは、ガソリンをがんがん燃やしているのを見て、敗戦を覚悟したという。(コメンテーターの話では、飛行機は米軍キャンプの慰安に向かう途中だったらしい), 『地球が回り続ける限り、風と共に去りぬも世界のどこかで上映され続ける』と言われた名作中の名作は、今、「人種差別的である」という理由から、上映禁止やプロテストの対象となっている。, 確かに、映画も、原作も、今、読み返せば、特定の人種を侮蔑するような台詞や描写が多い。, 映画の制作秘話では、黒人奴隷プリシーを演じた女優さんが、「いかにもバカのように振る舞わなければならないので、辛かった」とコメントしておられたのが印象に残っている。, しかし、原作も、映画も、じっくり目を通せば、よく解るが、この作品は、かつてアメリカ南部で実際に行われていた奴隷制や人種差別を題材にしているだけで、マーガレット・ミッチェル、あるいは映画制作者が、人種差別の思想を露わにして、意識的に侮蔑しているわけではないのだ。, たとえば、昭和の邦画でも、今、見返せば、かなり際どい描写がされている作品はたくさんある。, 松本清張・原作、山田洋次・監督の『砂の器』では、主人公の父親が、当時、業病と言われた病気にかかった為に、父子ともども村を追われるエピソードを描いているし、『ああ、野麦畑』『人間の証明』『陽暉楼』など、女工や女郎、囚人や少年労働などの悲哀を描いた作品も、当時の人間以下の扱いを如実に物語っている。, だからといって、松本清張や宮尾登美子や森村誠一が、患者蔑視や女郎侮蔑の気持ちで、そういう作品を作ったのかといえば、決してそうではなく、彼等は『差別』という事実を表現する為に、当時、実際に患者や女郎や女工に対して行われていたこと(あるいは言葉)を作中に取り入れているに過ぎない。, 『差別的表現』と『差別を表現すること』は、まったく次元の違う話で、そんなことを言い出せば、スティーブン・スピルバーグの『シンドラーのリスト』もロマン・ポランスキーの『戦場のピアニスト』も、ユダヤ人の心情を傷つける酷い映画だし、プッチーニの『蝶々夫人』もアジア人蔑視で上演禁止にしろという話になるだろう。, それも、現代のように、人権意識が向上して、「アフリカン系のイラストを分厚い唇やチリチリの髪でデフォルメするのは失礼ではないか」という考え方に変わってきている時代ならともかく、バラク・オバマ氏が大統領になるなど夢にも思わなかった頃に書かれた作品について、現代と同じモラルを求め、上演禁止や廃刊に追い込むなど、知性の敗北ではないだろうか。, ちなみに筆者はプッチーニの『蝶々夫人』を見ていると、無性に腹が立って、こんなストーリーが「美しい」「ロマンティック」と評価されるのは欧米だけだろうと、つくづく思うことがある。(参考記事→男同士の異色愛『エム・バタフライ』 ジョン・ローン 女装の耽美), 映画『エム・バタフライ』でも、中国の女装スパイ、ソン・リリンが、白人外交官のルネ・ガリマールに向かって、「東洋の娘が西洋の男のために死ぬと美しいわけね」と揶揄する場面があるが、オペラ『蝶々夫人』など最たるもので、アメリカの海軍士官ピンカートンに、地元の有力者が、若くて美しい『蝶々さん』を日本人妻として斡旋する場面が堂々と描かれ、蝶々さんも、いわば自分を買った相手に対して、「どうぞ、可愛がって下さい」とお願いする従順ぶり。しかも、自分を裏切ったピンカートンを責めもせず、最後は、誇り高い日本人らしく自刃するという、メチャクチャな設定である。, にもかかわらず、西洋では「美しい物語」として評価され、いまだにそれを『アジア人蔑視』と非難する声はない。, 本来なら、日本人こそ、この作品にエクスキューズしなければならないのに、自分たちの歴史とはまったく無関係な『風と共に去りぬ』がやり玉に挙がるのは、どういう訳だろう。, そう考えると、差別の対象など、実はどうでもよくて、誰かが「差別だ」と言い出せば、右に倣えで、歩調を合わせているだけで、作品の価値も、文化の意味も、何も考えてないというのが実態ではないだろうか。, 一度でも文化保護に携わった人、あるいは異文化に揉まれた経験のある人ならば、みな同意してくれると思うが、自国の文化も、国語も、自国民が意識して守らなければ、誰も守ってくれない、非常に脆くて、か弱い存在である。, こうした風潮が加速すれば、今に小学校のクラスに「日本語が読めない生徒が一人いる」というだけで、皆がその子に合わせて、日本語でお喋りすることを控え、授業の『国語』という呼び方も、「日本語を母国語としない住民もいるのだから、国語という名称は失礼だ。これからは『日本語の時間』と呼びましょう」という話にもなりかねない。, ちなみに、昭和の小学校の教科書に、『最後の授業』という話があって、私も衝撃を受けた一人だが、これは今も、どこの世界でも起こり得る話であって、私の身近な例では、第二次大戦前、ポーランドの学校では積極的にドイツ語を教えていたが、ソビエトの支配下に置かれてからはロシア語が義務化されたというエピソードがある。, ある日、フランス領アルザス地方に住む学校嫌いのフランツ少年は、その日も村の小さな学校に遅刻する。彼はてっきり担任のアメル先生に叱られると思っていたが、意外なことに、先生は怒らず着席を穏やかに促した。気がつくと、今日は教室の後ろに元村長はじめ村の老人たちが正装して集まっている。教室の皆に向かい、先生は話しはじめる。, 「私がここで、フランス語の授業をするのは、これが最後です。普仏戦争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが、私のフランス語の、最後の授業です」。これを聞いたフランツ少年は激しい衝撃を受け、今日はいっそ学校をさぼろうかと考えていた自分を深く恥じる。, 先生は「フランス語は世界でいちばん美しく、一番明晰な言葉です。そして、ある民族が奴隸となっても、その国語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなものなのです」と語り、生徒も大人たちも、最後の授業に耳を傾ける。やがて終業を告げる教会の鐘の音が鳴った。それを聞いた先生は蒼白になり、黒板に「フランス万歳!」と大きく書いて「最後の授業」を終えた。, これは決して創作ではなく、実際に、他国を無血的に侵略するなら、言語的に滅ぼすのが最善の策で、まずは子供(教育)の言語環境から染め変えるのが定石。, 『最後の授業』に喩えれば、子供たちを、大人の母国語であるフランス語より、ドイツ語の方を堪能にしてしまえば、必然的に、ドイツ語の書物や、ドイツ語の刊行物を好んで読むようになり、思想、文化ともに、ドイツに準じるようになる。そうなってしまえば、いくら自国の偉い人がフランス語で正しい事を主張しても、すでに思想的にはドイツ風に染まっているし、第一、言葉が通じないから、影響力も低下して、最後には、社会も、文化も、瓦解してしまう。, そういう恐ろしさを歴史的に学んでいる社会は、多額の資金を投じて、文化財を保護し、若い世代に自国文化や歴史を伝える取り組みも熱心に行っているのだが、『風と共に去りぬ』の一件のように、西が「差別」といえば、北も、南も、天も、地も、一斉に西に倣えで、引っ込めてしまうような社会は、上記のような言語的、あるいは文化的侵略にも、何の免疫も持たず、強権に簡単に屈してしまう恐れがある。, それは、直接、人々の暮らしや生命を脅かすわけではないけれど、国家の根幹を揺るがすような大問題で、文化の屋台骨が揺るげば、それは確実に恐怖政治の台頭を許し、暴力の風に吹かれるがままになるだろう。, 今も「勉強」の為に読書を促す親は多いが、肝心なのは、メッセージを読み解く力、そして、文化に対する敬愛を育むことである。, 『差別的表現』と、『差別を表現すること』の違いも分からない大人世代に、果たして自国の文化を守ることができるだろうか。, 『風と共に去りぬ』が差別的というなら、プッチーニの『蝶々夫人』も、アジア人差別に加えて、女性蔑視も甚だしいオペラといえる。, だが、後者はいっさい問題にされず、『風と共に去りぬ』の方が槍玉に上がっているのを見ると、反発というよりは、こんな調子で本当に自国の文化が守っていけるのか、と、頼りない気持ちにもなるのである。, 作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。普段はぼーっとしたおかあさんです。昭和の名作漫画はほとんど空で台詞が言えるほどの元祖ヲタ。車と猫が大好きな東欧在住。サイトでは作品紹介ではなく、作品を題材とした文芸コラムを掲載しています。, 青春はバブルと共に潰え 『おやじギャル』の中尊寺ゆつこさんを悼む / 「ドリフターズ」から「ひょうきん族へ」バブルとお笑い, 美輪明宏のおすすめ本 『愛の話 幸福の話』『強く生きるために』『地獄を極楽にする方法』など, 「As God is my witness, I will never be hungry」, 深海に眠るレアメタルと海洋社会の覇権をめぐる企業の攻防を描く長編ドラマ。生き道を失った潜水艇パイロットが恋と仕事を通して、再び生き甲斐を得るまでの軌跡を描いています。現存の海洋技術や土木・建築のノウハウを取り入れた読み応えのあるSF小説です。, 海外の古典を中心に、長編小説、詩集、文芸評論、寓話、絵画、建築など、お気に入りの作品を紹介しています。作品解説ではなく、作品を題材としたコラム集です。, 心、人生、生き方、社会、恋愛、科学などをテーマに書き綴るメルマガのアーカイブと小説の引用、詩作。, 江川卓と原卓夫の『カラマーゾフの兄弟』と米川正夫訳の『罪と罰』をメインに「人と社会」「愛と救済」について読み解くコラム。, ピアノの名曲を中心に、好きなバレエ、オペラ、交響曲について動画とライナーノーツで紹介する雑学系の音楽コラム。, もう二度と飢えに泣かない ~スカーレットの心の強さ~ 映画『風と共に去りぬ』より, 出演者  ビビアン・リー (出演), クラーク・ゲーブル (出演), オリビア・デ・ハビランド (出演), レスリー・ハワード (出演), ビクター・フレミング (監督).